鉛筆はミサイルとロケットを持っている

「鉛筆はロケットとミサイルを持っている」

鉛筆はミサイルとロケットに似ている。

国から国へミサイルは飛んで行く。
地面から宇宙へロケットは飛んで行く。

人間は鉛筆を削り、線を書く。
線によって、あらわされた言葉。
言葉によってまとめられた、人間の国。

冷戦時に、アメリカとソ連による宇宙技術戦争があった。
どちらも開発者はドイツから採用された。第二次大戦時、ドイツが持ち得たミサイル技術は一番進んでいた。
2006年、日本が北朝鮮によるミサイルの脅威を受けた。六発が日本海に落下。彼らがスイッチを押しさえすれば、
東京にも名古屋にも届く。
かたや同時期に、アメリカにて独立記念日、それに期してのスペースシャトルの打ち上げ。
どちらの機械にも同じ部品が使われている。。それを打ち上げる人間の脳味噌にも。

テレビの報道番組に初老の大学教授が出ていて、ミサイルがこの国にどのように飛んでくるかを説明していた。
彼は手元にあった鉛筆を右手で軽く持ち、それをゆっくり前に進ませた。
推進力がどこで途絶えて、どう目標まで落ちていくかを喋りながら。
やがて鉛筆は机の上に、コツリと芯を打ちつけた。
ミサイルはふっ飛び、ロケットは返ってこなくなった。

宇宙は永遠に未知の領域である。
そこに放つ人間の言葉は、二度と返ってこない。それを誰もが恐れているが、事実だ。スペースシャトルはよく作られた正しい乗り物だった。だが、未知の領域に語りかけるとき、本来、人間は言葉をぶつけるしかできない。
「理解すること」は約束されない。

テレビ放送は、実は一方通行の言葉である。
大学教授がミサイルについて説明しているのを見るとき、鉛筆をミサイルにしているのは、教授ではなく、見ているこちら側なのだ。

ドイツのステッドラー社の鉛筆には、マルスの顔をあしらったマークが入れられている。マルスは、戦いの神として崇められる英雄である。
同じくドイツのファーバーカッセル社のマークは騎馬戦の図である。古くの図版は槍が鉛筆になっており、敵の騎士を突き殺している。
またアメリカはスペースシャトルのように、世界で初めて消しゴム付き鉛筆を開発した。
日本の三菱鉛筆は、第二次大戦時に軍需産業を行っていた三菱財閥と同じ名前であり商標まで同じであるが、実は資本も人材も全く別の企業である。これは日本でも一般にあまり知られていない事実だ。
だが、ここにも鉛筆と戦いの関係を見ることができる。
戦後、日本を一時統治したアメリカのGHQは財閥解体政策を行った。三菱財閥と同じ名前であった三菱鉛筆にも、その名前を使わないようにと迫った。しかし当時の経営陣がこれに強く反論し、ついには退けたのである。
戦後間もないころ作られた鉛筆の箱には「財閥三菱と何ら関係ありません」と文言が書いてある。

書くことは、戦い、治めようとすることだ。
ドイツでは一般に、ミサイルもロケットと呼ぶ。
言葉は、ものを分ける力とくっつける力を持つ。
言葉は歴史の名前である。
その姿は、いまの人間が向かおうとするものを示している。

出品・企画展「Bremen Nagoya Art Project 2006」
元警察庁舎 ブレーメン・独

 

[The pencil has a missile and a rocket.] Jin Murata/2006

「作品」一覧に戻る